【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下07 華頂博信は偽装死なのか?

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。

 


 

 さて、今回は華頂殿下ファンにはおなじみの「おじいちゃん」こと華頂博信の「死」について掘っていこうと思う。華頂博信は公式情報では、1905年(明治38年)5月22日に生まれ、昭和26年に華子夫人と離婚、昭和28にルース寿美子夫人と東京で再婚。1970年(昭和45年)10月23日に65歳でロサンゼルスで死亡したことになっている。

カリフォルニア州、郡での出生と死亡記録
華頂博信の死が記載されている 22日となっているのは現地時間のため

アメリカで色々情報をほじくると死亡情報は確かに出てくるが・・・

 

昭和45年に日本で報じられた訃報


華頂博信の墓所であるカルフォルニアのローズヒルメモリアルパークの埋葬情報

https://www.rosehills.com/obituaries/whittier-ca/hironobu-kacho-8477754

 

 アメリカ社会保障局のデスマスターファイルやサクラメント公衆衛生局でも華頂博信が昭和45年に死亡していることが確認できる。しかしニセ華頂殿下は博信について、昭和36年に日本に帰ってきて戸籍を再製し、佐世保で90歳近くまで生きて一緒に暮らしたと公言している。ここら辺で何が真実なのか見えなくなり闇のスパイラルに巻き込まれていくのである。

和歌山の落合莞爾先生との対談で、霞会館系図を見ながら90歳まで生きたと名言
笑ってんじゃねえよw

 普通の人なら与太話で済ませてしまいそうになるが、私は猛烈な真実探求志向なのですんなり片付けてしまう訳にはいかない。ニセ華頂殿下のお話を聞いていると、どうやら博信の死亡は偽装だったと結論づけざるを得ないのである。しかしそれが本当だとすると様々な疑問が湧き上がってくる。まず、カリフォルニアで死亡したのは誰だったのか? そしてそれよりもまず、なぜ偽装死という回りくどい方法を取らなければならなかったのか?である。

 アメリカの公的な機関に死亡の記録が残っている以上、誰かの遺体があったと考えるのが普通だろう。しかしその遺体は華頂博信本人ではなかった可能性が高い。博信が何かしらの薬を飲んで仮死状態にして死亡を届けたのか? いやいや、それはリスクが高すぎるしまるで映画だ。もしかして適当に身体的特徴が似た人を探してきて殺してしまったのか? それとも特別な闇ルートで適当な死体を入手したのか?

というか華頂殿下は博信は昭和36年に帰国していると証言しているのである。

 

 死体の用意が不要で一番可能性が高いのは、関係当局に大金を積んで死亡記録を作らせて空っぽの棺を埋葬し、死亡情報をマスコミに流したと考えるのが妥当だろう。アメリカでも華頂侯爵の死を報じている新聞をいくつか発見できたので、どこかの通信社から記事の配信があったことは間違いない。アメリカでは宗教観からまだ土葬が多いし、当時ならなおさら土葬だろう。誰かローズヒル墓地に行って墓を暴いて棺が空っぽだったと確認してくれないだろうか。

 それは冗談として、いずれにせよこれは非合法で犯罪であることは間違いない。とても単独ではなし得ない犯行であるから華頂博信の偽装死を助けた闇の非合法チームがあったのではないだろうか。オカルトバカは「これは八咫烏が〜」とか、落合莞爾先生風に言うと「國體舎人が偽装死を手配し〜」となるのだろう。だが私は自分の直感をすぐに自説として押し通す妄想人とは一緒にされたくない。幾重にも掘って掘って掘りまくるのだ。客観的に誰が見ても真実なのが唯一の真実なのだ。

 こんなゴリ押しができるのだから当然アメリカ政府の人間も関わっていると見るべきだろう。この点については華頂殿下はおじいちゃんから直接聞かされていないようだがどう説明するのだろうか。ゴニョゴニョとお茶を濁し続けているのはこの偽装死が問題になるのを避けているのだろうか。しかし動画では「アメリカで死んだことにしてさ〜」などと軽く話しているのでこの件に関しては華頂殿下は詳細を何も聞かされてないと見るのが妥当か。

 

 もうひとつ考えられるストーリーとしては「影武者説」だろう。華頂殿下は博信が昭和36年に帰国したと言っているのだから、カリフォルニアで昭和36年以降に華頂博信として生きた別人がいたという説である。昭和36年(1961年)といえば華頂博信は56歳。華頂殿下は昭和34年生まれなのでこの時2歳。現地での仕事などを一旦すべて辞して、秘密組織が用意した影武者に後を託して、隠し子博祐の2歳の子供を養育するために極秘帰国した。。。。 映画じゃねぇかよ。

 

 というか、そもそも昭和36年時点で日本の仲間の協力で別名戸籍の再製ができたから帰国して、そのあとはず〜っと華頂博信はアメリカにはいなかったというだけか。別名で日本で生活するから華頂博信はそのうちアメリカで死んだことにしようとしたのかもしれない。ただ、それだとやはりアメリカでの協力者が必要になる。それがルース夫人だったのか?

 

 最後にあと一つ考えられるのが「おじいちゃん妄言説」だ。華頂殿下のおじいちゃんは、全然別人なのに親から博恭王の子供だと言い聞かされて育ち、自分を華頂博信だと思いこんでしまっていた脳の病気だった人という説である。しかしこれだとさすがに博恭王とのつながりや諸条件に無理が出てきて辻褄合わせが破綻してしまう。よってこの説の可能性はないだろう。

↑当時は私もこのように考えていたが、今となってがおじいちゃんが虚言癖のある老人だったというのはどうやら事実のようである。

 

 元皇族という身分であるから当然死亡の通知を日本の各方面に出すはずであるが、それは誰がどのように行ったのか? もちろん昭和天皇はこの秘密計画の詳細をご存知だったのではないか? 時の政府も絡んでいたのか? 昭和45年10月ならば第三次佐藤内閣である。おもな閣僚を書き出すと、内閣総理大臣 佐藤栄作、法務大臣 小林武治、外務大臣 愛知揆一、大蔵大臣 福田赳夫、 文部大臣 坂田道太、厚生大臣 内田常雄、通産大臣 宮澤喜一、運輸大臣 橋本登美三郎、官房長官 保利茂、防衛庁長官 中曽根康弘らがいる。すでに全員死亡している。娘の華頂治子さんの結婚式の仲人は佐藤栄作に依頼していたというから妙なつながりは感じるが。。。。

 

 もうひとつ気になる点は、遺体がない状態で日本でも伏見宮家で表向きな葬儀を行ったのか? 偽装死を知らない人々は博信閣下が亡くなったからお葬式に行かねば!となるだろう。アメリカでも葬儀をやったのか? 日本から渡航して参加した人々がいたのか? ルース夫人は? 狛江市の子孫たちには佐世保で隠遁生活していることをどう伝えたのか? もう疑問だらけなのである。偽装死に直接関わった人々はもうこの世にいないか、かなりの高齢になっているだろうからもう永遠に表に出てこない話なのかもしれない。いつか真実が明るみになる日を待つしかなさそうだ。

 

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 アメリカでの華頂博信の痕跡を追ってあれこれ掘っていると、いろんな情報が網にかかる。さすが元皇族である。なんとアメリカ下院議会の記録でヒットしたものがあるので紹介する。

昭和33年3月3日と昭和34年1月7日の2回、下院の議会記録に登場

小見出しがPrivate bills and resolutionsだから個人的な請求と解決策といったところかH.R.というのは下院のHouse of Representativesの頭文字で、11106は議案番号だ。

 

原文を書き起こすと

By Mr. McDONOUGH:

H.R. 11106. A bill for the relief of Hironobu Kacho; to the Committee on the Judiciary.

 

日本語に訳すと

マクドノー氏による

H.R. 11106.  華頂博信救済法案を司法委員会に

 

 

【=華頂博信★救済法案=】

 

 

キターーー!!

これは食い付く〜〜〜!!!

 

 しかし昭和33年に何があったのだろうか。私が適当に思いついた「影武者説」の実行か? カリフォルニア州の郡裁判所とかのレベルではなくて連邦議会で一体何を? マクドノー氏とは時期的におそらく共和党のゴードン・マクドノーではないか?

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そもそも私のとんだ勘違いか?

 推察はいくらでもできる。何通りものストーリーを組み立てられるし、その中に真実があるかもしれない。だが私はもう疲れた。誰かここら辺の事情に詳しい方に議案番号11106号が司法委員会で何を審議されたのか掘って欲しい。一緒に情報を掘る仲間が必要だ。

H.R. 1567.もあるよ! 

 華頂博信救済法案に興味を持たれた方、1958年〜1959年の下院議会の司法委員会議事録を入手できる方、ぜひご協力をお願いしたい。国立国会図書館にいけばある程度オンラインで掘れそうだが、、、、。