【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下20 華頂博信=岡崎秀夫の可能性

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 さて、岡崎祐一こと華頂エビデンス殿下博一だが、根本的な問題に立ち返ってみよう。おじいちゃんこと華頂博信の死についてだ。

 

 華頂エビデンス出したことない殿下博一は、昭和45年にロサンゼルスで65歳で死んだはずの華頂博信が、実は昭和36年に極秘帰国して戸籍を「再製」して佐世保に住み、再婚相手のハワイ人の常子と90歳まで生きて一緒に住んでいたと断言している。

 

 さて、ここで単純によく考えてみよう。元皇族たる人間が死んだことにする必要がどこにあるのか?って問題。

みんな何となくこう思ってないか? 「隠された一族だから政府によって特別な計らいがあった」などと! しかしよーく考えてみよう。隠されたと言ってるのは華頂エビデンス出せない殿下たった一人なのだ。ようは、華頂博信は隠されていない。隠されたのは博祐「から」なのだ。

 

 華頂エビデンスなんて知るか殿下の父博祐が生まれたのは異母兄弟の兄、昭和7年生まれの華頂博孝(伏見博孝)より後の昭和8年以降だ。その頃は華頂博信は海軍軍人であり王妃の華子夫人と子供と生活していた。そのさなかに隠れて「重婚」して満州の白人ラビの娘に博祐を生ませたということになるのだ。よーく考えてみよう。明治時代ではなく昭和に入ってから皇族がそんなことするかね? しかもあの学者肌の華頂博信がだ。戦争に備えて王妃に隠れて重婚して子供作って血筋が絶えないようにした?そんなことあるかい!

 

 私が思うに今までは「隠された一族」っていう魔法ワードで変なバイアスがかかってしまっていた。単純に考えればいいのだ。よって、

 

 華頂博信は公式情報通り、昭和45年にロサンゼルスで65歳で死んだ。昭和36年から佐世保にいたのは岡崎秀夫であって華頂博信ではない! ということだろう。

 

 おじいちゃんの華頂博信に育てられたと言っているのは華頂エビデンス出せない殿下だた一人なのだ。証言者もいない。よく話に出てくる「叔母」も怪しい。博祐の弟の叔父はもう死んだようだが、叔母は存命らしい。この婆さんを引っ張り出してくればすべて問題が解決すると思う。殿下は実家に博信や博恭王が残した遺品が多数あると言っているが、果たしてそれらを見た人物はいるか? 私が知ってる限りいない。勲章などの写真を見たという人はいるかも知れないが、それって本当に実家で撮影したものか? 博恭王が書いた書とされる「毎門黄竜」の額。これも写真を出すと言っていたが出たのか?講演会では見せたのか? そこら辺の「物証」も華頂エビデンス殿下はひとつも出していないのではないか?

水交社にあった書ってこれのことか? どう読んでも毎門黄竜じゃねぇだろ



 もう私にはすべてわかっている。華頂エビデンス出さない殿下は今後一切、この事に関する証明からは逃げ続けるだろう。この時点でもう「ニセモノ」は確定したと言ってもいいのである。華頂殿下から何か戸籍類を見たとか、華頂博信の孫だと書類で確認できたという人、いたら連絡して欲しい。私はそんな人この世に一人もいない気がしているのである。

 

 戸籍や写真を持っているらしいが、講演会で見せてもネットで世界に見せられないのは、俺らのような見破れる人に見られるとバレるからだ!

 

 華頂殿下よ! おまえはいつまで逃げ続ける気なんだ? いつまで人々を騙し続けるんだ? 「私は嘘は言わない」だと? ふざけんなウソまみれじゃねえかお前の人生は! こんな事言われたくなかったらキッチリ戸籍で証明してみせろよ!皇族の子孫だってことをな!! もうめくれちゃってんだよ!!!