注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい
方は記事番号殿下01から順にお読みください。
さて、このブログの最初の記事ですでに述べているが、
華頂博一という名前は芸名である。
この人物が「世を忍ぶ仮の名前」(本名)からニセ華頂宮家の当主「華頂博一」として世に出るまでにどんなステップを踏んでいったのだろうか。ネット上で掘れる所まで掘ってみよう。下に行くに従って古い日付のものになる。
2022年9月5日
華頂殿下の講演を取り仕切っている会社
旧皇族でもない人間を旧皇族として集客・集金しているので詐欺の遂行機関と認定される
一般社団法人厩戸ノ華頂 設立
代表者 高谷秀司(これは殿下とは別のミュージシャンの人)
法人番号 2020005015650
神奈川県横浜市西区平沼1丁目4番26号
2022年4月3日
華頂博一名義での初講演会
「明治維新200年計画とは」文京シビックセンター
2021年7月10日
華頂博一名義の現在のフェイスブックがスタート
2021年6月25日
ニセ華頂殿下のYouTubeのチャンネルで「残っている」一番古い動画は2021年6月25日のもの。内容はKEI familyチャンネルに出演した後のアンサー動画的なものだ。いわずもがなKEI氏は元ヤクザを売りにしている元反社である。KEI氏の動画が6月23日。内容的にはこの頃から今と言ってることはまったく変わってない。さすが我らのニセ華頂殿下は主張がブレない。
2021年4月28日
横浜市保土ケ谷区 相鉄線西谷駅前のパチンコ店の代表に就任 有限会社青山
「有限会社青山」の代表取締役は元警視庁の階級・警視長まで上った「加納英樹」なる人物。退官後はセコムに天下りし、現在は健全環境株式会社を経営。博明王やニセ華頂殿下を「推戴」している。登記簿では博明王やニセ華頂は取締役として掲載れていないのでWeb上の名義だけだ。元警察官僚が旧皇族でもない人間を旧皇族として推戴していいのか?
横浜のパチンコ店「アマテラス」 全国1のヤバい店 | 絶唱リルム
2021年3月4日
伏見宮家最後の当主、伏見博明殿下と会う
それ以前にも会っていたかも知れないがネット上で確認できたのがこれが最古。新日本美術院ってのも日本文化振興会と同列で名前は立派だが胡散臭い団体である。各自調査されたし。
当会役員と書いてあるが「真世界宗教連合会」というお笑い宗教団体のこと。大本教の出口王仁三郎の流れをくむ、いわゆる「まひかり」系の岡田系宗教団体だ。役員一覧を見てもらえれば普通じゃないことがよく分かるだろう。現在ニセ華頂殿下は「副会長」にランクアップ! あ、会長補佐だっけ? どっちでもいいよw 詳しくはwikiで
2020年12月28日
旧皇族 華頂宮チャンネル開設
チャンネルID UC0AanNmw5A6nchQca8IbKMg を登録した日
2020年12月2日
岡﨑祐一 名義のFacebookが更新停止
おそらく削除されるだろうから、見たい人は早めにどうぞ。まぁ魚拓は全部取ってあるのだが。読んでいただければ分かると思うが、華頂殿下は日本語が不自由である。およそまともな日本語が書けないのである。低学歴なのがバレバレだ。
2020年11月21日
岡崎華頂名義で講演らしきものの講師をやったようだ 裏天皇ってwww
これは「そっち系」出版社のヒカルランドが絡んでいる。
2020年1月24日
上記セミナーの「坂の上零」という「そっち系」マイナー作家の5千円もするセミナー「シュメール文明と日本、天皇の歴史。朝堂院大覚、小泉芳孝、坂の上零」に参加できるかと何故か個人情報丸出しで投稿
華頂殿下にツイッターで警告を発したらブロックされました。
報復措置としてリンク貼っちゃいます。
2019年12月13日
岡﨑祐一名義でFacebook開始
2019年1月14日〜18日
華頂博一@kachyou名義のTwitterはの極めて短期間で終了 この頃すでに「華頂博一」という「旧皇族名」を使っている。子供の頃から自分はオモテの存在だったら華頂博一だったんだという意識はあったのだろう。それ全部妄想ですよニセ殿下!
2018年5月1日
横浜市保土ヶ谷区、相模鉄道の西谷駅そばに殿下と関係があるパチンコ店アマテラスが改装オープン
花輪に博明王の物がある。ちなみに運営会社は有限会社青山(元警視長の加納英樹社長)
2017年10月17日
宮内庁に呼ばれる(自称) 本当は宮内庁公文書館に見学に行っただけ
2012年
伏見宮がどこから来たのかの研究生活に入る
実際はただのプー太郎で、自分が皇族の子孫に成りすますための設定を固めていたと思われる 落合莞爾のお笑い本を読んでほんのちょっと歴史の勉強をしたw
いかがだったろうか、華頂博一氏の戸籍名はおそらく岡崎祐一だと思われる。「ひろかず」とも「ゆういち」とも読める。
岡崎祐一少年が地元佐世保の西海学園高等学校を卒業してから、どのような仕事に就き、どのような人生を歩んできたのか、その足取りは不明だが私はそこまで追うつもりはない。結婚して子供を二人もうけたが、離婚して親権は母親にあるようだ。「子供とはお別れをした」と面会交流権もないような発言もされていたと思う。いろいろお辛いご経験をされてきたのだろう。そこら辺は私が足を突っ込むべきでないし、皇族の血筋だからといって暴くべきでもない。
岡崎祐一名義のフェイスブックでかつでチャンネル桜の水島社長に抗議していた投稿が残っている。そこで父と祖父の戸籍名と思われる名前を明かしているのだ。クソみてえな日本語だが意味は何となく通じる。このお方は句読点の使い方を知らない。あと推敲という言葉を多分知らない。
祖父 岡崎秀夫
父 岡崎博祐
祖父、華頂博信は昭和36年に帰朝し、日本国政府が新しい戸籍を「再製」して「岡崎秀夫」名義の戸籍をもらった。ということか? 父の博祐は何年生まれか定かではないが、華頂殿下が以前に「伏見に養子に行ったお父さんの兄」の話をしていたことがある。華頂から伏見に養子に行っているのは昭和7年生まれの博孝の事だろう。博孝の生母は華子妃で、博祐の母は別人の異母兄弟だが、兄と言うからには博祐の生まれは昭和8年以降ということになるだろう。博祐の出生時点での姓は何か?最初から岡崎か?母の姓を名乗ったか? 隠し子だから当然華頂でも伏見でもはないはずだ。
以上で私の調査を一旦終えたいと思う。この記事群は、あくまでの広大なインターネットの海の中から拾い集めた情報を再構成しただけである。情報の出どころの多くは公開されている日米政府の情報であり、当時の出版物であり、華頂殿下ご自身の発信によるものだから、これはいわゆる「暴露」にはあたらない。己の責任で世界に発信し、己の責任で削除せず放置していたものをたまたま私が目にし、それを集め再構成しただけなのだ。
まだ出していない情報も多くあるが、あまりやりすぎて華頂殿下のご心労になるのは私の本意ではない。華頂博信が岡崎秀夫であることの証明、博祐が岡崎秀夫=華頂博信の実子であることの証明は戸籍謄本を見るしかないが、私にはそこまですることはできない。
ここ二週間ほど夢中になって寝食も忘れてネットの海を彷徨った。私をここまで駆り立てたのは華頂博一が伏見宮一門の血筋であることの確証をどうしても得たかったからだ。調査と言っても現地に赴いて調査したり、華頂殿下の知人に突撃取材するなどのフィールドワークは一切行っていない。ほとんどカーテンを締め切って自室に籠もりきっていた。ふと気づくと華頂殿下の10年に及ぶ「山籠り」に自分を重ねていた。
はじめは完全なる偽物だと思っていたが今は「やや違う」。調査を終えて華頂博一、いや、岡崎祐一が華頂博信の子孫なのではないか?と少し思えるようになってきた。しかし当然100%の確証は得られていない。これ以降の調査はあとから来るマスコミや同志たちに任せたい。そして希望することは、何よりもまず華頂殿下がご自身で隠された情報をすべて開示し、多くの人の疑念を払拭して欲しい。そして今まで以上に晴れ晴れとしたお姿で、旧皇族華頂宮当主としての活動を継続して行って頂きたいと願っている。
なわけねーだろ!!!