【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下039 華頂博一の足跡 #1

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。


 

 全国のニセ華頂ウォッチャー、見守ラー同志のみなさんこんばんは。

 さて、このブログを書き始めたのは昨年2023年の9月頃だが、当時に比べてタレコミ情報などをたくさん頂き、ニセ華頂殿下に対する情報もだいぶ増えて来た。そこで、古い情報をベースに新しい情報を書き加え、岡崎祐一(石母田祐一、ボルタレン祐)がどのような人生を歩んできたのか時系列に沿って年表形式にしてみようと思う。長大になってしまったので分割してお届けする。

 

 なお、原典の大部分は華頂博一こと本名、岡崎祐一の過去のSNSからの情報による。だからこれはソースが書き間違えや虚言でない限り間違った情報ではない。ただ、岡崎祐一は生来のウソつきであるため鵜呑みにせず参考程度に考えたほうがいいだろう。SNSが主なソースだが、元奥さんやお子さんお孫さんに関する写真や記述もあるので直接URLを貼ることは避ける。もうすべて公開してしまって直接リンクを貼ればどんなに楽か。しかし、私はニセ皇族華頂博一を追求はしているが、この事で「無関係な親族」へ害が及ぶのは私が意図するところではないので、こういう回りくどいやり方をしているのをご理解願いたい。言っておくが私はすでにジョーカークラスの強力なカードを何枚も持っているぞ? 私の情報の精度を侮らないほうがいい。

 

 あらかじめ断っておくが、私がこんな事をするのは皇族詐欺活動をやめさせるためである。こんな事をされたくなかったら、大事になる前に速やかにニセ華頂宮活動を中止して誠心誠意、丸坊主にして土下座謝罪すべきである。おっと、ここは笑うところだよw 口を酸っぱくして言うが、自分が本当に伏見宮の血を受け継いでいると言うのなら、その証拠を速やかに公開すればいいだけの話だ。何度も言うが、華頂博一と、あえてこう表現するが「詐欺集団の厩戸ノ華頂」はこれを意図的に行ってこなかった。いつも「いずれ」というワードで先延ばしにして来たのだ。「いずれ」と言いながら何年経った? これが詐欺集団の手口である。結局証拠は出さないのだ。なぜか?それは間違いなく金儲け(皇室詐欺)の継続のためである。これ以上「誰も悪くないんです」とかいう言い訳はやめたまえ。悪いのは岡崎祐一とその周辺人物だ。「めんどくさいデース」とか言ってる場合か!自分の立場をよく考えろ! アンチコメントの削除が仕事のお前! お前もそんなことばかりしてないで自分の人生よく考えな? いつでも見てるからな?

 

 では見て行こう。リンクになっている部分には証拠画像や参考情報が貼ってあるので参照願いたい。

 

出生から佐世保時代

西暦

和暦

年齢

できごと

1959

昭和34

0

2月2日、駆け落ちした両親のもとで北九州長浜のラブホテルの駐車場で生まれた。生後3ヶ月で両親と離れ佐世保市山手町の父方の祖父祖母と暮らす。母方の両親は半島からの渡来人

1977

昭和52

18

8月 ジョー山中が長崎県佐世保署に大麻取締法違反容疑で逮捕。夜明け前に「ジョーさん頑張れ!と叫びに行った

1978

昭和53

19

東本願寺幼稚園(廃園)、佐世保市立山手小学校、佐世保市立花園中学校(廃校)を経て私立西海学園高校を卒業(1年留年?本人記述による) デキ婚してしまう

ギタリストの西慎嗣(キャンディーズのバックバンドを経て伝説のバンド、スペクトラムを結成)と知り合う(画像あり)

1979

昭和54

20

二十歳頃まで祖父と佐世保で同居

1984

昭和59

25

「20代半ばごろ」今も続く佐世保のジャズスポット、山下ひかるさんの初代「いーぜる」で深夜に店舗を借りて「ミッドナイトイーゼル」を営業。この頃に東京の事務所にスカウトされ上京したらしい(画像あり)

 

 皇族設定では生後72日間で両親から引き離されたとしているが、実際は駆け落ちした両親(岡崎博祐と朝鮮人の娘)の間に出来てしまった望まれない子供で、両家ともに子どもの存在を良しとせず父方の祖父に預けたというのが真相のようだ。これはあくまでも本人の記述である。失礼ながら出生からして普通の家庭ではないし、ラブホテルの駐車場で出産とは不幸な香りがプンプンしてしまう。とても皇族のそれではないのは、この点からももはや明らかであろう。人の親にこう言っては大変失礼だが、まったくもってクソな両親である。生まれたばかりの大切な小さな命を祝福せず、愛さず、育児せず3ヶ月で爺さんに預ける? その後一緒に暮らすことはなかったと書いてあるから「捨て子」と同じだ。人としてあり得ん。祐ちゃんかわいそすぎだろ。ここはマジで同情しちゃうのである。

 

 「母方は渡来人」や「母方の両親は、半島よら(ママ)、来られた民族」をどう解釈するか? 時期的に日本統治時代の朝鮮人の両親が日本に来て住み続けているいわゆる在日朝鮮人と読むか、両親ともに古いルーツが朝鮮半島にある帰化済みの日本国籍の日本人と読むか? 通常なら前者であろう。自称白人のひ孫でユダヤ系というのは当然ながら妄想で、本当は朝鮮人との混血児のようである。

 

 皇族設定では寝たきりの小学生時代としているが、実際は米軍基地に忍び込んだりするやんちゃなクソガキだったことを本人が告白している。また、入学したヤンキー高校の西海学園高校は、後に曽祖父として設定する伏見宮博恭王と縁が深い学校で、大正14年の設立当時は海軍式の厳格な礼儀作法の私立校。「西海」の校名と「菊」の校章は、当時の佐世保鎮守府司令長官だった博恭王によって考案されたものである(現在はデザインが変わっている)。ここが岡崎祐一と伏見宮の最初の接点だと思われる。

 

 自宅の近くには当時から県立の佐世保北高校や佐世保中央高校があったのに、偏差値40クラスの私立高校に行ったということは、つまりそう言うことである。ようは岡崎祐一は勉強もできなかったのだ。今も頭が悪いが、頭が悪いのは当時からで、伏見宮云々とか言うのは明らかに後付の創作である。佐世保をディスる訳では無いが、田舎に難関私立なんてものは確実に存在しないのだから、岡崎祐一のような「公立に入れなかったバカの行く高校」という認識で間違いではないだろう。

 

 皇族の血統妄想をこじらせる前の曽祖父は実在の帝国海軍中将「岡崎貞伍(ていご)」の漢字を間違えた「岡崎卓伍(たくご)」としており、現在曽祖父としている伏見宮博恭王とは全然違う。これについては詳しく殿下027 設定前の設定?で記事にしているので参照されたし。このように祐ちゃんの「設定」は妄想故に時代ごとに変わってしまうのである。

 

 

 話を戻そう。米軍基地があった佐世保で生まれ育ち、幼少の頃から洋楽に触れていたようで、中学時代からバンドを始めて高校時代には「ザ!ウッドペッカーズ」なるバンドを組んでドラムを叩き、校内行事などで演奏していたようである。すでに16歳でプロとして東京で活動していた一学年下のギタリストの西慎嗣と19歳頃に知り合った。デイヴフロムチャンネル出演時には、西くんとおじいちゃん(岡崎秀夫、設定上の華頂博信)は自宅で会ったことがあると話している。西慎嗣とはその後東京で再開し、ローディとして仕事を一緒にするようになる。その西さんが所属していた「スペクトラム」は今聞いても最高にかっこいいし演奏は超一流で洗練されている。特にホーンセクションがバチクソかっこいい。世に出るのが早すぎたのか、1979年のデビューからわずか2年後の1981年で解散しているので若い人は知らないだろう。ファルセットのヴォーカルは後に代官山プロダクションの社長になる新田一郎である。

www.youtube.com

 昭和の外人プロレスラーのスタン・ハンセンの入場曲は皆さん聞いたことはあると思うが、あれはスペクトラムのサンライズという曲で、例のイントロの後に西さんのボーカルが入っている。声もバリ渋で最高にかっこいい!

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 高校卒業後の進路については記述がないが、恐らくまともな就職はしていなかったと思われる。音楽で食べていく決意をしていたのではないだろうか。18歳の時に年上女性とデキ婚しており、この元奥さんはご自身の成人式の時に長男を身籠っていた。その後6歳離れた娘を産み後に離婚しているが、、、、おっと、ここらへんの話は今はしないでおこう。変な害が及んではいけないので自重する。

 

 で、今も営業を続けている佐世保のジャズバーの「いーぜる」に入り浸り、初代オーナーの故・山下ひかるさんと親交を深め、その店舗を夜間に借りて「ミッドナイトいーぜる」として営業していたようだ。東京の事務所にスカウトというのはあくまでも本人の記述によるもので真相はわからない。佐世保のジャズバーで演奏していたのが東京の音楽関係者の耳に入ったとは到底思えない。相当な演奏や歌唱の実力かスター性がなければミュージシャンとしてスカウトなどされるものではない。どうやらこれも虚栄心で本人が盛った話ではないかと推測する。それが証拠にメジャーデビューすら出来ていないのだから。



 と、ここまでが佐世保時代である。ちなみに博恭王が住んだという「伏見宮佐世保別邸」なるものは存在しない。これは落合莞爾がそう表現したのに岡崎が乗っかっているだけで、あくまでも設定上の話で虚言ある。実際は祖父、岡崎秀夫の家というだけである。これはきちんとした裏付けの取れた確定済みの話だ。これについては過去の記事を読んで欲しい。

 

 

売れないバンドとローディ時代

西暦

和暦

年齢

できごと

1990

平成2

31

時期は不明だが歌舞伎町で箱バンしていている時にジョー山中に遭遇。ザ・ゴールデン・カップス、ピンククラウドのルイズルイス加部(加部正義、マー坊)のローディとなる。

1991

平成3

32

日テレの生田スタジオで西慎嗣のローディとして「ROCK鳴缶-でかい音で聞け!!」の収録でジョー山中と会う(画像あり)

1992

平成4

33

クラブチッタ川崎で自身のインディーズバンドのライブを行う(3月1日と4月11日の動画あり)

1995

平成7

36

横浜市中区本牧から戸塚区に引越

 

 売れないインディーズバンド(The Jumping Joker)については、先日Xにポストしたのでご覧になった方は多いと思う。ドラム、ベース、ギター2人といった定番の編成で、祐ちゃんがギター兼ボーカルである。もう一方のギターの方は祐ちゃんの年下の親戚だが、今はまだ詳しく書かない。

 

1999

平成11

40

劇団「プロジェクト・ムー」の旗揚げ公演に音楽隊で参加

2000

平成12

41

本牧の障害者のための「ポレポレコンサート」で舞台監督をする

2002

平成14

43

この頃、自称明治38年(1905年)生まれの祖父、岡崎秀夫が90歳で死亡か。1905年というのは華頂博信に合わせた設定であり、本当は大正元年(1912年)生まれだと思われる。なので90歳死亡は2002年となる。

2003

平成15

44

滝ともはるのインディーズシングルをプロデュース(画像あり)

2004

平成16

45

ジョー山中と始めて会話する

11月 映画「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」が公開(DVDが丸ごとアップロードされているwまだ横浜市電が走っている!当時の本牧やシーンを理解する上で貴重。興味ある方は是非)エンドロールに石母田祐一の名前が確認できる

2007

平成19

48

さいたまスーパーアリーナで西慎嗣のローディとしてオノ・ヨーコと遭遇(画像あり)

 

 ローディと言えば聞こえはいいが、実際は雑用係の付き人(バンドボーイ、ボーヤ)みたいなもので、ようは機材の搬入搬出はもちろん、運転手などを兼務する仕事である。現代ではプロとして正式にローディというテクニシャンがやる専門職があるが、当時は機材はすべてアナログで本当に体育会系の雑用係である。本人談ではザ・ゴールデン・カップスのルイズルイス加部さんに20年くらいお世話になったそうだ。ルイズルイス加部さんの自伝がweb上で公開されているが、ボーヤの祐ちゃんについての記述は一切なかったw ちなみに年代はもっと前だがカップスで一時期ボーヤをしていた土屋昌巳はその後、一風堂というバンドで「すみれ September Love」が大ヒットして売れた。

www.berrys-cafe.jp

 

↑ルイズルイス加部さんと若き日の岡崎祐一

 また、別の記述では歌舞伎町で「箱バン」をしていた時期があるようだ。箱バンとは箱、つまりキャバレーなどの夜の飲食店と専属の契約を結んでBGMを生演奏するバンドのことである。そこでドラムを叩いていた時に突然ジョー山中が来て祐ちゃんのゴッパチ(シュアーのSM58という定番マイク)を使って「人間の証明」を歌って帰ったそうだ。「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という西条八十の一説が有名な森村誠一原作の角川映画「人間の証明」のテーマ曲である。なんともドラマチックなエピソードではないか。♪ママァ〜

 

 

 いかがだっただろうか。音楽業界のほんの片隅で上を目指して奮闘する祐ちゃんの若かりし頃の姿が脳裏に浮かぶようではないか。だが、この男は下半身がだらしなかった。カネもないのに無計画に結婚、出産、離婚を繰り返すクズ男なのである。これが伏見宮の末裔か? そんなわけがあるか! いい加減にしろ!

 

 これでも出す情報は絞ったつもりである。まだまだ出してない情報は大量にある。今度は友人の証言でも出しちゃおうか? 岡崎祐一のクズエピソードは豊富にあるぞ!

 

 

次回「ボルタレン祐時代」お楽しみに!