【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下040 華頂博一の足跡 #2

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。


↑お台場のトラックマスターズ2012ファイナルにてポールダンサーズと鼻の下が伸びきったクズ男

 

 全国のニセ皇族ウォッチャー同志のみなさまこんぬつぱ〜(^○^)/ 今日もみんな大好き祐ちゃんの秘密をバラして行くよ〜! レッツ!カチョマリカム🙏🙏🙏

 

 さて、前回はニセ皇族でおなじみの華頂博一こと岡崎祐一の出生から佐世保時代と、上京してからの下働きの様子を紹介したが、今回は中編として「ボルタレン祐時代」をお届けしたいと思う。ボルタレン祐という名前は、FM戸塚という小さなコミュニティFMで2011年から約1年半放送されていた「ボルタレン祐の維新伝心」という番組でパーソナリティ名として使っていた名前である。それでは見ていこう。

 

FM戸塚でのボルタレン祐時代

西暦

和暦

年齢

できごと

2009

平成21

50

鳩山内閣が誕生した首班指名を衆議院で傍聴する(画像あり)

民主党衆議院議員、田中慶秋と出会い運転手を2年弱勤める。別記事では4年間勤めたともある。田中からは「いっちゃん」と呼ばれていた(画像あり)

2010

平成22

51

加部正義のソロアルバム「WEED」に参加

2011

平成23

52

3月 横浜市瀬谷区で東日本大震災に遭遇

8月 ジョー山中死去

2011

平成23

52

4月 FM戸塚で「ボルタレン祐の維新伝心」がスタート「貴方の為にそして私の為に」というワードを使い出す

2012

平成24

53

53年ぶりに産みの母と再会する(51年ぶりとも書いている、画像あり)

9月「ボルタレン祐の維新伝心」が番組終了

12月25日体が動かなくなり伏見がどこから来たのかの研究に入る

しかしFacebookでは同日「嫌な臭いが立ち込めた」から始まる家庭内不和と子どもたちに関する記述がある(画像あり)

2013

平成25

54

8月 この社会の闇と戦うと決めた(画像あり)

10月 ブログで「最愛の家族と会えなくなりそうだ」との記述

2014

平成26

55

1月 ボルタレン祐のブログが更新停止

2015

平成27

56

7月 Okazaki Yuu名義のFacebook開始

2016

平成28

57

7月 3年を費やし横浜家裁でカルト宗教絡みの家庭内の事情で裁判(原告側)

12月 体調が思わしくなくDNA検査を受ける(画像あり)

 

 

 雑然と画像を貼り付けてしまったが、それぞれに意味があるのですべてに目を通してみて欲しい。

 

 50歳の時に地元(神奈川5区)選出の代議士、民主党の故・田中慶秋と出会い運転手をやるようになったそうである。この頃から政治には関心があったようで、国会に鳩山内閣誕生の首班氏名を傍聴しに行っている。この頃の祐ちゃんは、ローディと政治家や福祉車両の運転手のアルバイトを掛け持ちして生計を立てていたようである。いずれも賞与が出ない職業だろうし、年収は相当低かったと想像される。どう考えても家族をちゃんと養える収入があったかどうかは疑問ではある。

 

 戸塚での活動が評価されたのか知らないが、何かしらの縁があってFM戸塚で「ボルタレン祐の維新伝心」なる音楽番組を持つようになる。放送は毎週土曜日の21時からの1時間である。登場ゲストはローカルな人から著名なミュージシャンまで多岐にわたった。しかし1年半でこの番組は終了となる。予算のないローカルなコミュニティFMだしギャラは1回で3万円ももらえなかったのではないか? だが、この頃の祐ちゃんは生き生きとしていたのがブログからも伺える。また、前出のザ・ゴールデン・カップスがアルタミラミュージックに所属した関係で、アルタミラピクチャーズの桝井省志さんとも懇意だったようだ。桝井社長は今の「祐くん」を見て何と言うだろう? 

 

 

 2012年頃から家庭内で良からぬ事態が起こり始めたようで、プライベートなことなのであまり詳しく書かないが、これが岡崎祐一の人生で最悪の転機となった事柄なのは間違いない。要約すると、Nというキリスト教会の男と奥さんが密会を重ねていて、子供たちもそのキリスト教系のカルト宗教に巻き込まれたという事らしい。この子供たちというのは、前回の情報にある佐世保の子供たちとは別の、戸塚の3人目の奥さんとの子供で男子2人。現在24歳と20歳である。これは相当な泥沼状態だったようで、自殺未遂と見られる記述もある。そして心身ともに疲れ果ててしまったようだ。

 

 皇族設定で使う「2012年の12月25日に体が急に動かなくなった」という部分は、別の記述ではこの家庭崩壊について書かれている。信頼していた人物に裏切られ、相当なショックだったのか、これ以降彼の言動が若干怪しくなってくる。公私ともにつらい出来事が続いたのではないかと想像する。ここらへんを掘ると祐ちゃんが本当に可哀想になってきて胸が痛む。この事件を後にいろいろな意味を込めて「体が動かなくなった」と表現しているのだと思う。まぁいずれにせよ虚言なのは間違いがない。

 

 しかし、こう何度も結婚生活に失敗する男とは一体何なのか? DVも行っていた記述があるし、嫁さんや子供の立場になって考えることが出来ない、独りよがりで思いやりがないとしかいいようがない。よくこれでライブ配信で子供たちの未来が〜とか言えるなと思う。説得力がまるでない。

 

↑こりゃ相当な修羅場である

 

 これに端を発した家庭内の事情で、3年を費やしてようやく原告として2016年7月12日に横浜家庭裁判所の第一法廷での裁判に漕ぎ着ける。勝訴はできなかったようで、日弁連や裁判所などに強烈な不満を持ち司法制度への怒りの記述が見られる。2012年末のあの日が精神的に病み始めたキッカケだったと言って間違いないと思う。裁判相手を「カルト詐欺師」と定義して非難しているが、今では自分がカルト詐欺師になってしまっているのが何とも悲しいではないか。因果とは恐ろしいものである。

 

この頃の友人の証言では常に金欠で飲みに行っても自分では支払わず、ガソリンも千円分とかショボい事をしていたそうである。恐らく離婚して慰謝料や養育費で困窮し、裁判でもお金を使い果たして貯蓄はゼロの状態だったのではないだろうか。あちらこちらで金の無心をしており、踏み倒した総額はそれなりの額になるのではないだろうか? 岡崎祐一に金を貸して返ってこないという方や、借りパクされたという方、是非ご連絡ください。

 

 ちなみに、2016年時点の妄想ではまだ曽祖父の名前が「岡崎卓伍」である。祖父も華頂博信ではなく「岡崎秀夫」である。2017年3月になってようやく「伏見」といく単語が登場してくる。どうやらこの時期に皇族への血統妄想が現れてきたのではないだろうかと推測する。設定では祖父は皇族から臣籍降下した元海軍佐官の華頂博信侯爵のはずだが、現実には岡崎秀夫で、陸軍に徴兵されて二等兵で前線に行っているのであるw 下2つの画像を見ても、岡崎祐一は旧皇族とは何の関係もない一般人であることがすでに証明されてしまっているのだ。 最近の講演会では、この岡崎秀夫の青刷り戸籍をプロジェクターでボヤかして写してバカ信者どもを納得させているらしい。 信者の皆さん!詐欺集団に舐められてますよ! こいつらバカだから自分で調べないいい金づるだっつってね! 

 

↑2020年7月時点で、曽祖父は博恭王に変わっているが、祖父は岡崎秀夫のままであるw しかも高祖父と曽祖父が間違えているしもうメチャクチャやんけ! 


 いかがだっただろうか? 音楽業界の片隅でもがく岡崎祐一が、52歳でひょんな事から小さいながらも自分がメインの冠番組を持つことになった。日の当たらなかったダメ男に初めて日が当たったのだ。故郷の佐世保を発ってから実に20年以上かかって掴んだ小さなチャンスである。それが故にボルタレン祐を第一にしてしまい、家族を放ったらかしてしまったのか? 今の私にはそこまで知る事ができないが、今後近しい人が私の味方になればここら辺の事情も徐々に明らかになるだろう。

 

 さて、いよいよ次回はニセ華頂宮として世に出る段階である。学のない祐ちゃんがどのようにして皇族の勉強をし、人を騙し、デビューしたのかを追っていこうと思う。