【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下029 華頂宮として世に出る前夜

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。


 

 さて、ニセ華頂殿下の過去がどんどん暴かれている。もうニセ華頂殿下が旧皇族とはまったく血縁のないただの一般人だということは間違いなく確定しており、ニセ華頂信者の頭が悪い人たちを除いては周知の事実になっていると思う。

 

 FM戸塚でのボルタレン祐時代が2011年〜2014年くらいまでだが、ニセ華頂殿下の自称によれば2012年の12月25日に体が動かなくなり、どうせ体が動かないんだったらおじいちゃんが言っていたことを調べようと決めたと。これは何度も言っているから殿下ファンならご存知のはずだ。いわゆる「伏見がどこから来たのか」ってヤツだ。

言っちゃってるよねユウちゃん

 だが、2012年の12月25日と言えば、まだボルタレン祐時代でブログを書いている時期と重なる。では、その時期にボルタレン祐はどんな内容のブログを書いていたのだろうか? 記事一覧を見てみよう。

 

あれあれあれ?w

 うーむ、体が動かないって相当な重病だし、SNSで日記を書いていたらそのことも書くでしょう普通。特に承認欲求が強いユウちゃんなら必ず書くはずだ。でもでもでも? そんな事は一つも書いてないのである。何が「サンタさんに若干コネが」だよw というワケで、この「体が動かなくなった」というのも虚言でありウソだった事が確定した。私は熱烈なニセ華頂殿下ウォッチャーであるから、このブログも当然すべてに目を通しているが「体が動かなくなった」なんて記述はひとつもなかった。

 

 このボルタレン祐のブログは2014年1月で更新が終了しており、これ以降の期間は別のSNSに切り替わっている。3年の空白期間があるが、まずは2017年1月1日の投稿を紹介しよう。

 

 

 この頃にはもう旧皇族として世に出ることを計画していたのだろう。「現実にはありえないと思われる真実」がそれを暗示しているし、「不都合な方々もおられます」とは華頂博信侯爵を始祖に持つ、華頂侯爵家の子孫たちや、アメリカの華頂幸子さんのファミリーに対してだろう。もうこれは確信犯である。風のうわさによると、正当な華頂侯爵家の方、どなたかは言わないが、華頂博一を認識しており強い不快感を示しておられるらしい。関わり合いにはなりたくないのだろう。

 

 そして2017年10月17日といえばニセ華頂殿下が「宮内庁に呼ばれた日」だが、これについての直接的な記述は見当たらないが、コメントに一つだけあった。

 

 

 ↑この投稿に対してのコメントがこちら↓

 

 そして2018年3月15日にこの投稿。「もう良いでしょう」 これはニセ華頂殿下の中で旧皇族華頂博一としての「設定」が盤石なものとなり、これで旧皇族として世に出ても良いでしょうという意味に取れる。ちなみに行ったことがある人ならわかるが、この写真は江戸城の「富士見多聞櫓」が公開されたときに撮影されたものである。胸に付けている緑のバッジは宮内庁の見学者向けの貸出バッジである。

news.ntv.co.jp

江戸城 富士見櫓 内部 (390 無料写真)

富士見多聞(御休息所前多聞) | 江戸城のガイド | 攻城団

 

  そして2018年4月27日の投稿がこちら。

 

 朝鮮半島に平和が〜という部分は、パンムンジョム(板門店)で金正恩と文在寅が南北首脳会談を行ったことについてである。そして「なるかたジージ」とは、伏見宮博恭王殿下が華頂宮を継承したときに「博恭」と改名する前の名前である愛賢(なるかた)のことであろう。図々しくも、この時点で博恭王殿下の子孫であると自称しているのである!許せん!しかも高祖父と曽祖父を間違えているあたりがユウちゃんらしい。その設定で高祖父と言えば伏見宮貞愛親王になるはずで「さだなるジージ」だろうに。

 

南北首脳会談:米政権 非核化の「具体的な意思」見定めへ | 毎日新聞

 

 さらにニセ華頂殿下がよくのたまわっている「伏見の家訓」も今と内容が違うw 汝(なんじ)を女と書いているあたりが爆笑モノである。そして最後の「内閣府章句局」とは「内閣府賞勲局」の事だろう。その賞勲局の◯◯さんとのツーショット写真が掲載されている。ニセ華頂殿下は賞勲局に1年もの期間通い、何か調べ物をしていたのだ。実際の祖父、岡崎秀夫が蒐集した勲章などの「殿下グッズ」の鑑定を依頼したりしていたのではないかと推測する。

 

 

 そしてこの後、2020年11月21日に裏天皇「岡崎華頂」として初めて聴衆を前にしてイベントに参加するのである。

 

 

 

 さて、ニセ華頂殿下こと岡崎祐一の友人知人のみなさん、これをご覧になっていたら是非空白期間の情報をお寄せいただきたい。この後、どのようにして岡崎祐一が旧皇族華頂博一として人々を信用させていったのか、その行程が知りたい。