【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下08 佐世保の話

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 さて、ニセ華頂殿下ファンにはおなじみの佐世保での話である。

 長崎県佐世保市といえば軍港として栄えた街であり明治以降は常に帝国海軍とともにあった。今でも海上自衛隊が駐屯しており軍港として側面は変わりはない。終戦まで佐世保鎮守府が置かれており、通称は「サチン」である。そこの22代目の司令長官が元帥府に列せられる前の海軍大将、伏見宮博恭王である。大正13年2月から1年間ほど勤めた。

 ニセ華頂殿下のお話ではサチン長官だったころに「山手町」に建てた家があり、そこでおじいちゃん(華頂博信)に二十歳まで育てられたというのがニセ華頂殿下ファンならもはや常識の知識である。しかしこの情報を元にネットで色々調査してみるが、佐世保に伏見宮の別邸があったという情報は拾えない。軍人としてではなく、私人として別人名義で非公然に建てた家なのだろう。もう家屋自体は存在しないらしいが、粘着系華頂殿下ファンとしては絶対にその家の場所を突き止めたいのである。

 以前にFacebookに殿下が投稿した記事に「佐世保市大野町 西蓮寺前」「博恭と恭子佐世保市山手で他界」というものすごく重要なキーワードがサラッと書かれていたことがあった。山手町ではなくて大野町? 住んでた家は山手町ではないのか? 大野町の西蓮寺? 調べてみたが佐世保市には西蓮寺というお寺は2つある。

 

1)長崎県佐世保市瀬戸越町1308-7 曹洞宗 安養山 西蓮寺

2)長崎県佐世保市早岐2丁目13-13 浄土真宗本願寺派 西蓮寺

 

 地図で確認するまでもなく早岐といえばもはや佐世保とは別の町だしサチンからは遠すぎるから、前者の瀬戸越町の西蓮寺なのだろうが、ニセ華頂殿下は大野町と言っている。

 

西蓮寺の位置 丘陵の突端に位置する

現在の大野町の範囲だと西蓮寺は含まれない

 「大野町」と限定してしまうと西蓮寺は含まれないが、「大野地区」という範囲なら瀬戸越町も含むようなので恐らく眼鏡岩近くの西蓮寺なのだろう。博恭王が建てた家は山手で、華頂殿下が住んだ家が大野地区? 屋敷が2つあったということだろうか? 以前話しの中で隣に辻一三佐世保市長の家があり一等地だと言っていた。大野地区は佐世保中心部から5キロも離れており車で10分程度かかる。遠すぎるし一等地ではないだろう。家から海が見えたとも言っていたと思うが、大野地区からだと高台じゃないと海は見えなそうだ。

 辻一三(つじいちぞう)は 若い人は知らないだろうが、昭和43年のエンプラ闘争の時の佐世保市長で、2008年に大型倒産した辻産業の創業者である。辻市長の当時の自宅は不明だが、辻家は佐世保の名門なので親族が多くネット検索での特定は諦めた。地元の方でお詳しい方に情報を求めたい。現在、花園町の高台にある辻さんの大邸宅があるところは、大正時代は宅地開発されていないただの山林だったので除外する。それとも佐世保で「山手」というのは「山手町」とか「山手地区」と限定するのでなく、東京の山の手的な大雑把な「山の方のエリア」を指すのだろうか。これを見た佐世保に詳しい方、ぜひコメントを残して欲しい。

行政区画としての山手町のエリア

 

 博信と佐世保で一緒に住んでいた「おばあちゃん」の話もよく出てくる。このおばあちゃんは常盤常子という人らしく、大分の姫島で育てられたハワイ人ということらしい。見た目もポリネシアンでカメハメハ王の血統だったとも明言している。佐世保の女相撲で何回も優勝しているような豪傑なおばあちゃんだったようである。

 佐世保の女相撲について少し掘ってみると、現在でも佐世保で女相撲を行っている東浜町女相撲保存会なる団体があり助成金も受けているようだ。地域の広報誌によると「東浜町の女相撲の始まりは、昭和6年早岐町にある西蓮寺での奉納相撲だそうです」との記述あり、また西蓮寺というキーワードが出てきたが、こちらは大野地区ではなく早岐だ。取組後に餅つきをしたり踊ったりすると言うから、常子ばあちゃんがどじょう掬いやおてもやんを踊って博信が恥ずかしいからやめてくれと言っていたという証言に合致する。

 

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