【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下035 ここ最近の流れと雑感

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。


 

↑歴史に残る名テロップ

 さて、ここ最近【殿下界隈】に大きな動きが多かったので少し時系列にまとめてみようと思う。いったい何が起きてるの?って方はよくお読みになって状況を把握していただきたい。ホントはもっと早く記事にするはずだったが、龍が如く8にハマってしまい遅くなってしまったw みさらせ〜!

 

 まずは2月6日に夢源樹チャンネルで公開されたニセ華頂殿下とのコラボ動画、確か6本くらいあったと思うが、その動画すべてに添付画像のようにテロップが出て殿下界隈は大きくどよめいた。冒頭の数秒だけに出されたテロップとかではなく、動画の最初から最後まで出しっぱなしのベタのテロップである。

 

↓麹町のゼン・カフェマリーナで客を入れて収録された

mugenju.com

 

 

www.youtube.com

 内容的には見ての通りだが、一応テキスト化しておくと

本イベント終了後、華頂博一氏について伏見家当主に直接確認したところ「伏見家および華頂家とは、血縁的にまったく関係のない人物です」との回答をいただきました。

 

 とのことである。伏見家当主とはいわずもがな元皇族の伏見博明さんである。(15歳の皇籍離脱まで伏見宮博明王殿下であらせられたお方)

このテロップを出した夢源樹の「秘密喫茶 居皆亭」店主の松居武志さんがXにポストされているが、電話とかではなく直接「謁見」されておられるから、これはもう間違いのない情報でありニセ華頂殿下のニセモノ疑惑がついにホンモノになった瞬間である。おっと、分かりづらい書き方をしてしまったが「華頂博一はニセモノ皇族」という事が完全確定した瞬間と言っていいだろう。

 

 勘違いされている方が実に多いのだが、夢源樹=月間ムー=学研ではない。ムーは今は学研グループを離れて株式会社ワン・パブリッシングである。学研との資本関係はあるが、議決権比率59.2%で日本創発グループの連結子会社となっている。また、「夢源樹」は「みらい樹」とともに有限会社マスター・プランニングの事業の一つである。いつもムーの三上くんが夢源樹チャンネルに出ているので夢源樹=学研と思われている方も多いだろうが、そこはご注意願いたい。

 

 そしてその週の土曜日、2月10日のライブ配信がこれである。

www.youtube.com

 殿下の伝家の宝刀、必殺泣き落としも披露されている。よーく話を聞いてほしいが、ニセ華頂殿下は疑問に何一つ回答していないのがわかるだろう。これが詐欺師である。口八丁手八丁、まさに口から出任せなのだ。何が「時代が証明する」だよバカ! そしてチャットのリプレイも残っているので哀れな華頂信者どものチャットもバッチリ記録されている。チャットの流れもよく見て欲しい。これが現状である。リテラシーのない知能の低い人間の見本市だ。ここでニセ華頂殿下が謝罪してすべてを白状したなら私も評価したが、ニセモノがバレてるのに居直るこの姿勢、「もちろんホンモノだよ」とかまだ言うか! そして終始言い訳ばかり吐き続ける誠実性のなさに本気でがっかりした。私と同じ感想を持った人も多いのではないだろうか。確かに松居さんとの事前の約束はあったのだろうし、それを反故にされたのかも知れないが、この問題の本質はそんなところではない。

 

 以上が「第一波」の大まかな流れである。そして「第二波」として今までコラボしてきた都市伝説界隈のチャンネルからニセ華頂殿下が出演していた動画が次々とサイレント削除されていったのである。「コヤッキースタジオ」「TOLAND VLOG」「考え方の学校」がニセ華頂殿下とのコラボ動画を「しれっと」削除した。

 

 これはまだ一連の動きの渦中であるので、この記事の執筆時点ではまだどこからも説明はないが、後日各チャンネルから説明があると期待したい。コヤスタやTOLANDでニセ華頂殿下を知った人も多いだろうし、それで本物の旧皇族だと信じてお金を払ってしまった人もいるだろう。何の説明もなしに「しれっと」動画を削除して、なかったことにするのはモラル的に許されないだろうと思うし、影響力があるチャンネルゆえに少なからず説明責任があるはずだ。

 

 

 

 

 実は私は大のオカルトファンである。子供の頃からムーを読んで育ち、五島勉のノストラダムスの大予言を読んで恐怖し、あなたの知らない世界を見てお風呂でシャンプーできなくなり、矢追純一のUFO特番で宇宙人を真剣に信じ、稲川淳二や桜金造の怪談を聴き漁り、地元の心霊スポットを制覇したり、MMRマガジンミステリー調査班を読みふけって地球は滅亡すると信じ、飛鳥昭雄や山口敏太郎や都市伝説モノの書籍を読みまくって育ってきた。デニケンやゼカリアシッチンに代表される古代宇宙飛行士説にも夢中になった。今でも寝る時は怪談や都市伝説系PodcastやYouTubeを聴きながら眠りについている。それほどまでに怪談やオカルトを愛して止まないのである。

 

 昨今のSNS、特にTwitterとYouTubeにおけるオカルト情報は常軌を逸しているものが多い。多すぎる。「ライorトゥルー」「信じるか信じないかはあなた次第です」「押し付けたりしません」「おじいちゃんから聞いた話」という非常に便利なマジカルワードたちを武器に、根拠がない話やウソの歴史などを吹聴しまくる。発信者側にも責任があるし、受け手側も盲信せずに自分でも調べてみる必要がきっとあるはずだ。私くらいのオカルト猛者になると何が本当で何がウソかは直感で大体わかってしまう。なぜなら「◯◯は▢▢だから△△ではないはず」みたいな理論があらゆる過去の知識で積み上げられているから。オカルトは愛しているが、今ではちびっ子の頃にあんなに信じていた幽霊も宇宙人も占いも予言も科学的に全否定する側になった。

 

 まぁ私の話はどうでもいいとして、何が言いたいかというと、最近のYouTubeでのオカルト都市伝説界隈は回転数・収益性重視なものが多すぎる。明らかにサムネの文字で釣り、見てみるとどうしょもない内容。コラボ相手もどーしょもない人が多くなってきた気がする。アフリカのペンキ屋?しょーもない! 華頂博一はそのしょーもないの最たるもので、自分を「旧皇族」だとしている。少しネットを検索すればニセモノだとわかったはずであるが、コラボして動画を面白おかしく仕上げてリリースしてしまう。コラボ相手が普通の人ならそれでも全然問題はないだろう。ただ、華頂博一は血縁がないにも関わらず自称が旧皇族なのだ。これは誰がなんと言おうと絶対にダメである。エンタメだからOKだろうと思って動画を出したのかも知れないが、本来日本人にとって天皇陛下や皇室は「神聖にして侵すべからず」存在のはずである。旧刑法には「不敬罪」があったし、天皇陛下は毎夜、我々のために私利私欲を捨てて裸足で板の間に正座されて神に祈ってくださっているありがたい存在のハズだ。そんな天皇陛下とそれに連なる皇族方を侮辱し冒涜している詐欺師老人がエンタメでOKのハズがないではないか!

 

 いわゆる「華頂信者」とはネットリテラシーが低く、情報の真偽を確かめずに有耶無耶なまま信じ込み、まともに学問を修めておらず、心を病んでいる人達が多いなという印象だ。なぜか縄文時代を賛美し、根拠もなくシュメールやアヌンナキなどと関連付けたがる。「隠された歴史の開示が〜」とか「闇側が〜」とか「DSが〜」とか。なぜこんな低能な人種がここまで増えてしまったのか? それはやはりTwitterやYouTubeからの情報であることはほぼ間違いないだろう。知能が幼い人間が間違った知識ばかりを溜め込むと、宗教と同じでそれに反する意見には一切聞く耳を持たなくなる。自分が絶対に正しい、私は気づいてしまった、なんでみんな気付かないの?と言った妙な優越感を持つようになる。これは失礼ながら体験的に圧倒的に中年女性に多い。そしてそういった人間がSNSでつながり、その考えは共有されてさらに強固なものとなって行く。こうなると目覚めるのには時間が掛かる。そういった人たちの意見はだいたいこんなところだろう。

 

・どう捉えるかは自分次第、エンタメとして見れば問題ない

・嫌なら見なければいい

・華頂先生の人間性で見てるから本物か偽物かはどうでもいい

・そんなに疑うなら直接華頂さんに聞けば? 警察に言えば?

 

 まぁ華頂信者とは所詮このレベルなのである。自分が詐欺師を擁護しているとはまったく気づいていないし、やっていいことと悪いことの区別がわかっていないのだ。ニセ華頂殿下は私を「プロック」しているし、警視庁にも神奈川県警にも主要マスコミにも情報はとっくに提供している。なぜ華頂博一が悪いことをしているのか本気でわからないのか?

 

 じゃぁ例えばあなたと全然関係ない老人が突然現れて「私はあなたの家の親戚です」とか言ってネットであなたの家のウソの情報を垂れ流す人物がいたとしたら? あなたは間違いなく事情を聞こうとするだろうし証拠を求めるよね?どういう血縁関係にあるのか。もしくは気味が悪いから関わらないでおこうと思うよね? そういうことなんだよ! 正統な華頂侯爵家は今まさにこの被害に遭っているんだよ!突然現れた華頂博一によって天皇陛下から賜った華頂宮からの由緒ある栄えある華頂の姓はすっかり汚されてしまった。華頂博信の孫、曾孫、玄孫の世代は普通に華頂姓で都内で静かに生活しておられる。華頂ですと名乗ったら「え!あのニセモノの?」とかすでに言われてしまっている可能性も高い。これがいい事か? いいわけ無いだろ! 華頂博一は今まさにこれを実行して華頂家に大迷惑をかけているのである。そこら辺に気がつけよ華頂信者どもよ! って私もこうやって少なからず華頂性を傷つけることに加担してしまっているのは華頂家のみなさんに申し訳なく思うのだがこれは正義である。

 

 とまぁ私の言いたいところはだいたいこんなところである。華頂博一が旧皇族で間違いがないのならば、それを証明するものを何かしら提出すべきなのだが、華頂博一はそれを一切行ってこなかった。例の「落胤の書」なる意味不明な額を出したり、ピンボケの写真を講演会でプロジェクターで映すくらいのものだろう。愛媛での講演会で祖父の青刷戸籍を見せたらしいが、岡崎秀夫の戸籍を見せたところで何の証明にもならないのは明らかだろう。戦後に一斉に皇籍離脱された伏見宮系の11宮家51名の皇族方は、居住地がある役所で住民申請をして戸籍を新しく作った。その際に元皇族だった旨や、皇族譜から転籍のように元を辿れる情報が記載されている。ニセ華頂殿下が祖父と自称している華頂博信は伏見宮家から大正15年に離脱し、かつての東京府東京市芝区役所で華頂姓で戸籍を新しく作っている。この戸籍まで辿れる情報を出さなければ華頂博一が旧皇族と言い張るのには無理がある。ニセモノで血縁がないのだから華頂博信まで辿れる戸籍を出せるわけがないのだ。

www.shugiin.go.jp

↑眞子内親王殿下が皇籍離脱した際の皇統譜(皇族譜)

 

 人は権威に弱い。日本人なら当然「皇族」となると「やんごとなきお方」であり高貴で雲の上の存在である。だから華頂博一が本名の岡崎祐一で活動していたら今の殿下は存在していないだろうし、人気チャンネルとのコラボも当然なかっただろうし、有料の講演会など到底できるものではない。華頂信者も「旧皇族だから」と見始めただろうし、「旧皇族の殿下が言っていることだからウソではないだろう」と信じてしまった面が大きいと思う。華頂博一こと岡崎祐一の話術は確かに人を引き込むし話も面白い。そのうち旧皇族とかニセモノとかどうでもいいと言い出すようになり、人間性が良いから言ってることも間違いじゃないとか言い擁護するようになる。それが考えの足りない華頂信者なのである。

 

 「華頂先生に救われた」という方もたくさんおられるでしょう。それはそれで良いことだと思うし、そういう方から見ると私の言っていること、やっていることはただの粘着アンチでしょうね。だけど何度も言うけど問題はそこじゃないのよね。

 

崇高なる皇族をギミックに使うことは到底許されることではない!!

 

↑2012年、FM戸塚で「ボルタレン祐」だったニセ華頂殿下こと岡崎祐一

 

殿下034 白人ラビの娘?

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↑ニセ華頂殿下が投稿した例の画像

 さて、最近すっかりニセ華頂殿下は私を警戒して出生に関わる発言をしなくなってしまったが、以前はよく話していた。ニセ華頂殿下が言うには

「博恭王が満州に一つだけあったユダヤ教の教会の白人ラビの娘を連れ帰ってきて日本で育てた。その間にできた子供がうちの祖母」

 

とのことだ。発言の証拠はこの動画に残っている。Mr.都市伝説こと京都ウラ天皇の操り人形文芸でおなじみw 落タクスゼイアン、もとい落合莞爾先生との対談だ。

www.youtube.com

この動画の4分30秒あたりからの会話を見てほしい。

 

↑またまた言っちゃってるよねユウちゃん

 そしてまたこちらの動画にもそれらしき発言が記録されている。

www.youtube.com

↑バチクソの東洋人顔のお前が何を言ってるんだ?w

 ニセ華頂殿下は高卒で聖書すらまともに読む教養がないからレビとラビの違いもわかっていないわけだが、レビと言ったらユダヤ民族の12氏族には数えられないがユダヤ人の祭祀を司る「レビびと」のことである。聖書を通読したことのある人には説明不要だがアロンやモーセの家系である。そしてラビといえばユダヤ教の教師のことである。現代英語だとレビ人=リヴァイLevite(líːvait)で、ラビ=ラァバイRabbi(rǽbai)で発音も意味も明確に違う。そして景教についても認識がおかしいw 景教とはあくまでも古いネストリウス系の東に伝播したキリスト教の一派であってユダヤ教とはまったくの別物である。

 

 以上の発言を踏まえて、このバカ殿下が言っている家系図を作ってみるとこのようになるのだ。常子というのは常盤常子で大分県姫島で育てられたハワイのカメハメハ大王の末裔らしいぞww 複雑になるので正統華頂家(博信と華子の子ら)は省略している。どう見ても近親婚が過ぎるだろと。博恭王から見れば自分の子供と子供が結婚して子供作っているのだw そりゃ障害を持った人間が生まれるわいと妙に納得してしまうのだが、こんな事あり得るかバカ! 証拠を出せよ証拠を!

 

 そしてその「白人の日本髪を結ってる人」の写真が恐らく冒頭に貼った、ニセ華頂殿下がフェイスブックにコメント無しで投稿した画像ではないかと思うのである。何のコメントもなしにあの写真を貼る意味とは? 恐らく「これが例の日本髪を結った白人ラビの娘さんです」と言いたいのだろうが、自分が勝手にパクってきた画像だから明確にそう言えなかった、と見るべきだろう。ではこの画像の元ネタはなにか? それは公爵一條実輝の奥さん悦子を中心とした写真である↓

左から一條経子(けいこ)、朝子(ときこ)、悦子、実英、フランス人乳母、実光

 この写真は公爵一條実輝(さねてる)の後妻の悦子夫人をフランス滞在中に撮影したものである。一條実輝の実父は四條隆平(たかとし)だが隆平の兄・陸軍中将の四條隆謌(たかうた)侯爵の子として育つ。後陽成天皇の男系八世子孫。駐フランス公使館附海軍武官を経験しており、そのフランス滞在中での写真である。悦子夫人は最後の肥後藩主である細川護久のお姫様。左下の幼女、朝子(ときこ)はのちに伏見宮博義王妃となる人物で、ご存命中の伏見博明さんの実母である。おそらくニセ華頂殿下が「設定固めの資料集め」をしている時に伏見宮関係の写真を図書館で漁っていて偶然目にした写真がコレで

「おっ!白人おるやんけ!設定に使ったろ!ガハハw」程度の認識だったのではないかと思う。実はこの写真は私も意味不明で一旦保留していたのだが、朝子さんの顔が頭に残っていて、ああ、これは朝子妃殿下の子供の頃の写真だと気づいたわけである。丸顔でお美しい朝子妃殿下の育ちの良さが滲み出てしまっているのだ。ちなみに朝子さんの妹の直子さんは同性愛者でおなじみの閑院宮春仁王のお嫁になっている(のちに春仁王のホモ行為が原因で離婚)

 

 この写真では赤ちゃんの一條実はのちに南部伯爵家に養子に入り南部利に、一條実は佐野伯爵家に養子に入り佐野常となっている。一條家に限らず公家さんは「家」がなくならないように、子孫が途切れそうになると有力な公家さんから男の子を跡継ぎとして養子にもらってきて何とか家系が途切れないように努力するのである。実際、ほとんどの公家さんの家系は男系ではとっくに途切れているが、他の家から男子を養子にもらって来て家を継続しているのである。摂家に限らず公家はどこもそうで、男子がいないからと言って簡単に既得権益を失う訳にはいかないのである。既得権益とは明治以前なら「極位極官」であり、明治以降は「爵位」である。明治以前は家柄、家格によって公家として中央で就任できる役職の上限が決まっていたのである。一条家は摂関家といって、天皇を直接補佐する摂政や関白に就任できる最高位の家柄である。現代では本人の努力次第でいわゆる「上級国民」に這い上がれるが、昔は家柄、血筋が最重要だったのである。

霞会館の系図では経子(ツネコ)となっているが、明治時代の書籍にはケイコとして紹介されている

一條公爵家の系図 近代でも醍醐家、四條家、大炊御門家から養子が入って継承しているのがわかる。いずれも藤原北家の一族である。
現在でも一條さんがお住まいなので住所は伏せた

↑例のフランス人乳母は日本に連れ帰っている

 そして最初の言葉の「博恭王が満州に一つだけあったユダヤ教の教会の白人ラビの娘を連れ帰ってきて日本で育てた。その間にできた子供がうちの祖母」に対してのツッコミになるが、博恭王は満州に行ったことがないのだから、満州からラビの娘を連れ帰ることなど不可能である。博恭王の行動や事蹟は詳しく書籍に残されているが、

 

博恭王が満州に行った事実はない。

 

 博恭王の父の貞愛親王は陸軍だったので中国内地まで実際に軍事行動で行った事実があるが博恭王は海軍である。以上のように、この件はすべてニセ華頂殿下が考えた設定であり妄想だということがハッキリしてしまうのである。

 

お前が白人の曾孫だと?その顔で?冗談じゃないよバカヤローw

 



 

殿下033 落胤の書?追記あり

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 さて、ニセ華頂殿下が自分が「落胤」であることの証拠だとしてよく持ち出すこの写真。殿下ファンなら何度も見たことがあるだろう。講演会にもわざわざこの大きな額を持ち込んで説明しているから、これの実物は確実にニセ華頂殿下が保有している。今回はこれについて深掘りしてみたいと思う。

この写真撮ったやつ誰だ? 出てこいよ!

 この写真の初出はニセ華頂殿下が華頂博一としてデビューする前の2020年6月27日、本名の岡崎祐一としてフェイスブックに投稿した記事である。

 

 

 草書の達筆でサラサラと書かれていてなんて書いてあるかよくわからないだろう。画像も不鮮明で落款部分はあえてコントラストを飛ばして見えにくくしているかのようだ。それもそのはずで、この写真を見て何かお気づきではないか? そう、これは「写真プリントを紙の上に置いて撮影したもの」なのだ。顔つきからしてそんなに昔の物ではないはずだが、なぜかデジタルデータではなく、一回アナログプリントを経由している。何故だろうか? 時代的にスマホやデジカメがなかった時代では決してないのに。

 

 まぁそれはおじいちゃんだからデジタル機器に詳しくないということで置いておこうか。では、この書についてのニセ華頂殿下の説明をいくつか添付してみよう。

↑出自を追求され言い訳に終止するユウちゃん

 水交社の事務局か、博恭王の部屋に飾ってあった物らしい。「明治4年11月」というのは額面からは読み取れないので、おそらく額に裏書きがしてあるのだろう。水交社というのは帝国海軍将校たちの親睦組織で、戦後解散したが現在は水交として海上自衛隊関係者の親睦団体として継続している。水交社があった飯倉のビルが戦後にフリーメイソンが占有して現在に至っているのは割と有名な話。

水交社 - Wikipedia

 

 文字部分を拡大するとこの様になる。横書きの大きな文字は「露」と「獨」だろう。縦書きの右は「壬申初産」と読めるか?? 左は「毎門黄龍」らしい。草書は決まった様式がないので書き手によって全く字体が異なる場合がある。専門家の人に鑑定してもらわないと素人の私では正しく判断しかねることははじめに申し上げておく。「毎」については様々なパターンを調べたが、この書の文字とどうにも一致しなかった。くずし字や草書は専門のサイトがいくつかあるので興味がある方はご自身で調べて判断してほしい。黄龍の部分は「芝花」とも読めなくもないし、もっとピントの合った写真を出せよと思ってしまう。

mojiportal.nabunken.go.jp

wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp

 

 ではメインの「露獨」とはなんだろうか? 明治の横書き二字書なので当然右から読む。なので「獨露」である。決してガイコツの「髑髏」や獨逸(ドイツ)と露西亜(ロシア)ではないだろう。これは恐らく禅語の「萬象之中独露身(ばんしょうしちゅうどくろしん)」の省略形だと思われる。意味は各自で調べてほしい。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

切り抜きチャンネルさん!いつも僕だけのために無償でニセ華頂殿下のウソ動画をわかりやすく分別してもらって助かってます!これからもニセ華頂殿下のウソをどんどん暴いていくので僕だけのために無償で切り抜きよろしくチョコ!

 

 動画の中では誰が書いたのかはハッキリと言っていない。「明治4年にある天皇家の一族が落胤として下ろした書がありまして、それ僕持ってるんですけど」とのこと。明治4年といえば博恭王は当然生まれてもいないし、大正天皇すら生まれていない。果たしてそんな書がニセ華頂殿下と何の関係があるのか? 博恭王が書いたのなら、ギリギリ「息子の博信王に隠し子が生まれちゃったけど、伏見宮家として認知はしないんでこの書でなんとかしてね!」とかいう無理くりな解釈もできなくもない。だけど博恭王は生まれてすらいないし、息子が隠し子を生んだとかいう不祥事を親が書にするかって話。

 

 筆致が酷似しているから私は最初は博恭王が書いたものだと思っていた。だが明治4年では話が全く変わってくる。普通、揮毫として書を残す場合は左側に署名を入れる。これは常識だろう。様々な皇族方の書を見てきたが、いずれも自署と落款が2つ入っている。人に贈与目的で書く場合は当然だろう。

 

↑これは貞愛親王事蹟という本の表2見開き部分へのサインなので落款はない

↑博恭王の肉筆の書(海上自衛隊幹部学校) ↓貞愛親王の肉筆


 そもそも「毎門黄龍」とはなんだ? 既存の熟語なら必ず検索で引っかかるはずだが? 引っかかるのはお前の動画だけなんだよ!www てことはお前の「造語」ってことなんだよ!そのくらいわかるだろ? 創作したネタか、祖父の秀夫に吹き込まれたホラ話か、得意の漢字覚え間違いか? もはやこの書が皇室に連なる方が書いたというのもどうやらウソだろう。誰が書いたかもわからない。署名もない。落款は「黄龍」らしいし、単なる昔のお習字としか言えませんなこりゃ。どっかの骨董屋から買ってきた物としか言いようがない。秀夫が買ったかニセ華頂殿下が買ったかでしょうな。こうなってくると水交社に飾ってあったというのも当然ウソでしょうね。明治4年とか言わなけりゃちょっとは信じちゃったかもね〜〜!

 

何が落胤の書だよw

そんなの聞いたこともねぇよ!w

 

 

【追記2024/01/24】壬申初産についてとユウちゃんへの説教

 縦書きの一行目が「壬申初産」と読めるかも?と書いたが、その件についてごっそり書くのを忘れていたので追記する。

 

 壬申といえば「壬申の乱」とか「壬申戸籍」で有名だが、これはご存知の通り甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸からなる十干(じっかん)と、年賀状でおなじみの子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥からなる十二支を組み合わせたもので、古来より支那や日本では暦、方角、時刻などを表す時などに使われてきた。年を表す時は10種×12種で60年を周期として使われる。

 

 壬申(みずのえさる)は近代では1812年(文化9年)、この書が書かれた1872年(太陽暦に改暦のため明治4年11月21日〜明治5年12月2日まで)、1932年(昭和7年)1992年(平成4年)が壬申の年に該当する。仮に例の書の文字が「壬申初産」であるならば、これらの年に生まれた天皇家や皇族の子女を列記してみると面白いかもしれない。

 

 ただし、この書が書かれたのが1872年(明治4年11月)なのだから、この壬申の年に絞ってみると、孝明天皇、明治天皇は該当者なし。伏見宮第19代の貞敬(さだよし)親王にも該当者なし。20・23代の邦家親王にも該当者なし。21代目の貞教(さだのり)親王にも該当者なし。他の世襲親王家の桂宮、有栖川宮、閑院宮にも該当者はいない。特に「初産」に拘らずに調べても、

 

結論として明治4〜5年の壬申に生まれた皇族はいない。

 

 1932年(昭和7年)生まれは、伏見宮博明王と華頂(伏見)博孝(華頂博信の二男)の2名がいるが、どちらも初産ではないし、明治4年の60年後では例のゴミ書とは何の関係もないだろう。

 

 例のガラクタ書がニセ華頂殿下が伏見宮の「落胤」だと証明する物証として機能するためには何が必要か? それは、華頂博信か博恭王が確かに書いたという証拠があり、なおかつニセ華頂殿下の実父、博祐という隠し子を認知公表せずに隠蔽したという証明書になっていなければならない。そのためには書いた日付が壬申の年、つまり昭和7年で、額の裏に封印された真実、誰と誰の間の子供なのかと、その経緯が書かれた封書や手紙などの物証が忍ばせてなければ機能しないだろう。まぁ、例えそんな物があったとしても、いくらでも捏造ができてしまうので法的には何の公証にもならず、何の意味もないのは明らかではあるのだが。

 

 もうあきらめなよユウちゃん。あんたはただの岡崎秀夫の孫で岡崎博祐の子なんだよ。過去のSNSにも実際自分で何度もそう書いてきただろ? あんたは伏見宮家や華頂家とは何の血縁もないただの寂しい哀れな老人だよ。脳や精神の病気だとしても心の中では人々を騙していると確かに理解しているはずだ。未来のことや子どもたちのこと、愛を説くなら自分が悪いことをしているという感情も確かにあるはずだ。自分自身の出自をいつまで経ってもウヤムヤにして正直に説明しないのがその証拠だ。みんなそう思ってるよ。

 

 もうあんたの破滅へのカウントダウンは始まってるんだよ。そんな悲惨な結末を避けて今後も活動を続けるには「旧皇族はウソでした」とすべてを白状して今まで騙してきた人たちみんなに土下座して誠心誠意謝って回るしかないよユウちゃん。俺がいなかったらもうちょっとニセ華頂宮を延命できてたかもなあ? まぁ俺じゃなくても必ず誰かが「おかしい」と追求していたはずだ。こんな甘々な設定で世に出てきやがってよ。何が「もう良いでしょう」だよバカ! もう2年以上も旧皇族の気分を味わえたんだから、そろそろ白状していいんじゃないか? ユウちゃん、俺はあんたが嫌いで言ってるんじゃないんだよ! 上皇陛下をはじめ皇室や旧皇族、華頂家のみなさんを貶めるなと言ってんだよ! 子供さんやお孫さん、元奥さんたちに恥ずかしいと思わないのか? 俺は言及してないけどフェイスブック調べれば誰でも親戚やお子さんのことが知れてしまうんだぞ! 害が及んだらどうすんだよ! それにこのまま有料講演会やってたらいずれ必ず捕まるんだぞ?

 

4年目はねぇぞ

みんなおまえを見てる

そろそろ謝る準備始めろよ

 

 それから、騙されてるだけかもしれないけど、これを見てる「華頂博一」を利用している奴ら! 法人もだ! 「ニセモノだとは思いませんでした」じゃ済まされねぇぞ! 法人ならちゃんとバックグラウンド調べろよ!危機管理能力ゼロかお前らは! 日本文化振興会はついにニセモノだと気づいて名刺も回収して「副総裁」のポストを剥奪したようだが、華頂宮チャンネルのスタッフたちも! 殿下とか先生と持ち上げてるオカルト脳のバカ信者ども! おまえらも同じなんだよ! 「隠された一族」なんて虚偽で幻想なんだよ! 目を冷めして現実を見ろ! ホンモノの旧皇族の血筋の方々は間違っても自分からは旧皇族なんて名乗らないし菊花紋が入った名刺なんか使わないんだよ!!! 使ってるのはニセモノの梨本と華頂とその他詐欺師たちだけだ!

 

 

殿下032 佐世保に伏見宮邸がなかったことが確定してしまうw

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 さて、ニセ華頂殿下がいつも言いまくっている「僕は佐世保のひいお爺ちゃんが建てた家で育てられた」ってやつ。まぁ実際そうだったとしても、ヤツが言っている曾祖父=伏見宮博恭王殿下というのは100%ありえないということは私がこれまで暴いてきた通りである。この件に関してバカ殿下がつい最近も懲りずにツイートしている。

 

↑おまえごときが竹田恒泰さんを引き合いに出すんじゃないよ!ハゲ!

 これに対して私もXでツイートしている。

 

 そもそも皇族が家や土地を取得するには当然だが旧皇室典範での縛りがある。皇族は国家予算から宮家ごとに年額で予算が決められており、その金額を分割支給される。もちろん原資は税金なので、皇族が金持ちだからといって好き勝手に不動産を買えるわけではない。必ず「おかみ」へのお伺いと承認が必要だ。

第四十六條 世傳御料ニ編入スル土地物件ハ樞密顧問ニ諮詢シ勅書ヲ以テ之ヲ定メ宮內大臣之ヲ公吿ス

 とある。明治時代なので旧字体でわかりにくいが、世傳御料とは「世伝御料・せでんごりょう」である。つまり世襲財産で、土地家屋などの分割譲与が許されない物件のことだ。平易に書くと「宮さまがおうちを建てる時はまず枢密顧問にOKかどうか聞いてから。そんでさらに天皇陛下もOKだったら宮内大臣がみんなにお知らせするよ!」ってことだ。念のために大正13年の官報を調べたが当然ながらそんな公告は存在しなかった。そもそも鎮守府の司令長官の任期はだいたい1〜2年が相場だ。そんな短期間のために家を建てるわけがないし、倹約家の摂政宮殿下(のちの昭和天皇)の裁可が降りるわけがないではないか。

 

 

↑ニセ華頂殿下が言うには佐世保市の山手町にその「伏見宮邸」があったそうだが、調べに調べ尽くしたがそんな痕跡すら発見できなかった。当然である。華頂博一はあくまでも「岡崎祐一」であって皇族とは何の血縁もないただのウソつき詐欺老人なのだから。以前に私がブログに書いた佐世保の記事も一応貼っておく。未読の方は一読願いたい。

kachyou-fake.hatenablog.com

 

 さて、そして今回フォロワーの方が佐世保市教育委員会文化財課に問い合わせをしてくださり、その回答が来たので紹介する。

 

 

はい、ニセ華頂殿下のウソがまた確定しました〜〜!wwww

 

 いや〜、旧皇族っていうメッキがほとんど剥がれちゃってユウちゃんもう丸ハダカだね! もうニセ華頂殿下の言ってることはほとんどがウソっていう事が世の中に知られちゃいましたね〜! これでもまだ熱烈な殿下ファンのバカどもは「華頂殿下は隠されてきたんだからオモテの情報では真実はわからない!」とか言うんでしょ?w

 

だからおまえらはオカルトバカだって言ってんだよ! いい加減「真実」に目を向けろよ!いつまで夢見てんだよおまえらは!俺の言ってることが「真実」であって、ニセ華頂殿下が言ってることは「虚偽・妄想・捏造」なんだよ!!

 

こんな皇族と血縁もないのに華頂宮を僭称し、おまえらバカどもから金を巻き上げているこんなインチキ詐欺師老人をいつまでも野放しにしてはいけない。

 

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殿下031 伏見宮と華頂宮

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。


 

www.youtube.com

 

 さて、ボルタレンの宮殿下こと自称華頂博一(本名:岡崎祐一)が自信満々に語っている【伏見宮と華頂宮】の動画に対してツッコミを入れていこうと思う。バカはバカなりに勉強したようだが、所詮高卒の精神病を患う詐欺師妄想老人であるから、間違えて覚えてしまったり、意味を取り違えているところが多々ある。このフォーマットをやり始めてしまうと、バカ殿下の全動画に対して突っ込まないといけなくなるのでそこまではやらないが、たまたまYouTubeのおすすめに出てきたのを久々に見たらウソばっかりだったので黙っていられなくなってしまったのだ。では見ていこう。

 

華頂宮の始まり

 バカ殿下「華頂宮は実はすごく古くって、明治時代に入って男系が途切れて、それまでは京都とかでたくさんいい仕事をしてます。こないだあの〜華頂宮がお墓で眠っている場所なんですけど【華頂殿】っていうお寺に行ってきました。で、お参りをしてきました。その時に華頂殿の住職とお話をして写真を撮ってきました」

 

 まず、これは前にも書いたが「華頂宮が京都でいい仕事をたくさんした」とかいうのはウソである。初代の博経親王は病弱なくせにアメリカで軍事訓練してさらに体を壊して帰国した4年後に25歳で死んでしまっている。それに2代目の博厚王は8歳で死んでしまっているし、しかも京都じゃなくて東京の三田である。はっきり言わせてもらうと「京都で何の実績もない」のである。

 

↑初代博経親王の略歴。京都で素晴らしい仕事をたくさんする時間あると思う?

 あと「華頂殿」なる「お寺」はないw いわゆる「華頂殿」は京都粟田口の青蓮院門跡の建物の一角をそう称しているのである。それと「華頂宮がお墓で眠って」はいないw 華頂宮博経親王も博厚親王もお墓は東京の豊島岡墓地である。

 

youtu.be

↑フォロワー氏が青蓮院に電話して聞いた結果がこちらw ニセモノですね〜〜〜w

 

 「住職と写真を撮った」ってのはたぶんこれだろう。この方は青蓮院ではなく「知恩院」の方である。作務衣の胸に刺繍があるだろう。このようにバカ殿下の頭の中では知恩院=華頂殿となっているわけである。青蓮院と知恩院では宗派が全然違う。ちなみにこの作務衣を着た方は失礼だが「知恩院住職」ではない。現在の浄土門主、知恩院第88世は伊藤唯眞猊下である。知恩院のトップは「住職」とは呼ばない。

 

現在の伊藤猊下(げいか)

 

伏見宮の男子は常に皇太子?

 んなワケがない。伏見宮の当主はその時々の天皇や徳川将軍の「猶子」には指名されるが、皇太子として立太子した伏見宮の王子はいない。ちなみに伏見宮家から天皇に即位した後花園院は親王宣下も立太子もなく践祚している。猶子とは養子とは違い、何の相続権もないただの名目上の契約疑似親子というだけである。実際に次期天皇の候補として名前が上がった伏見宮の王子は歴史上2名いるが立太子はしていない。あくまでも伏見宮は世襲親王家という格下の「補欠要員」であり、皇太子に選ばれるのは当然ながらその時々の天皇家の皇子である。

伏見宮歴代当主

  1. 栄仁親王(大通院) - (北朝第3代崇光天皇第一皇子
  2. 治仁王(葆光院)←ハプスブルク家に単身養子に行ったらしいぞw アホかw
  3. 貞成親王(後崇光院) - (後小松天皇猶子
  4. 貞常親王(後大通院) - (後花園天皇猶子
  5. 邦高親王(安養院) - (後土御門天皇猶子
  6. 貞敦親王(妙荘厳院) - (後柏原天皇猶子
  7. 邦輔親王(後安養院) - (後奈良天皇猶子
  8. 貞康親王(後葆光院) - (正親町天皇猶子
  9. 邦房親王(桂昌院) - (正親町天皇猶子
  10. 貞清親王(後妙荘厳院) - (後陽成天皇猶子
  11. 邦尚親王(乾徳院) - (後水尾天皇猶子
  12. 邦道親王(後桂昌院) - (後水尾天皇猶子
  13. 貞致親王(円実照院) - (後水尾天皇猶子
  14. 邦永親王(得解脱院) - (霊元天皇猶子
  15. 貞建親王(後乾徳院) - (東山天皇猶子
  16. 邦忠親王(円定明院) - (桜町天皇猶子
  17. 貞行親王(真浄明院) - (桃園天皇第二皇子
  18. 邦頼親王(究竟覚院) - (桜町天皇猶子
  19. 貞敬親王(勝光明院) - (後桃園天皇猶子
  20. 邦家親王 -(光格天皇猶子
  21. 貞教親王 -(仁孝天皇猶子
  22. 貞愛親王 - (孝明天皇猶子
  23. 博恭王

 

ボクの高祖父のサダナリww

 それを言うなら「貞愛(さだな)」である。

↑よく明治天皇すり替え説で使われちゃう写真。これは子供の頃の貞愛親王だぞ!

 

(博恭王は)華頂宮を何年もやってないと思いますね

 博恭王は9歳から30歳まで華頂宮である。20年以上華頂宮当主であらせられたのだ。バーカ! 何を勉強したんだよハゲ! 落合莞爾ばっかり読んでんじゃねぇよ!

 

江戸時代の後期に徳川幕府が、実はえーと公家っていうか今で言うと宮家ですよね

 公家は臣民であって皇族じゃないんだよ。五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)とか清華家、大臣家などの有力な家格が高い公家はほとんどが藤原北家だろ!天皇の皇子が入った皇別摂家もあるが、それはあくまでも臣籍降下した上のことであって決して皇位継承権はない。もしかして本気で公家と皇族の違いがわからないのか??

 

邦カツ王って言うんですけど、うちの伏見宮邦カツがw

 字幕では直されているが「邦家(くにいえ)親王」である。お前は10年間も何を学んできたんだ? 串カツか?この野郎w 何が「うちの」だよ!お前んちは岡崎だろ!

 

鎌倉にある華頂殿ってあるんですけど博信が作ってるんですよね

 ここでも華頂殿であるw もはや救いようがないが、鎌倉にあるのは「旧華頂宮邸」である。便宜的に「宮邸」と呼ばれてはいるが、建てた時点ですでに皇族ではなかったのだから正確には「華頂侯爵邸」である。

 

立証する必要はないんだけれども立証しようとすれば、華頂宮は博士の博を使います

 まぁそれはいわゆる「通字」ってやつで華頂宮は博でもちろん間違いではない。だけどお前の本名は祐一で博一は芸名だろ? なんの立証にもなってないんだよハゲが!

 

子供の時の名前と、宮家を持った時の名前は必ず変わる。名前は二度と変えてはいけない

 んなワケあるかいボケ! いわゆる元服前の◯宮みたいな幼称があった皇族は除くが、ほとんど生まれた時の名前のまま宮家を継承しているだろ!それに宮家を持ってから改名した皇族方もおられる。例えば小松宮彰仁(あきひと)親王は以前は嘉彰(よしあきら)親王だったし、閑院宮春仁王は皇籍離脱後だが純仁に改名している。改名の禁止などは当時の皇室典範に書かれてはいない。

 

山本権兵衛が山本五十六を養子にした

 まず山本権兵衛の正式な読みは「ごんべえ」である。「ごんのひょうえ」は有職読みみたいなもんで、その方がかっちょいいから本人が気に入ってたと言うだけ。ローマ字でのサインはGombayと書いていたそうだ。あと、高野五十六が養子に行った山本家は越後長岡藩の山本家である。同じく越後長岡藩の牧野忠篤や渡辺廉吉の手引による断絶していた山本家の再興であって、薩摩藩の山本権兵衛はこの件とはまったく関係がない。

 

んフフ♡みんな知らないけどねw 

 そりゃお前の妄想なんか誰も知らねえよバカw

↑「ボルタレン祐」時代の華頂博一(バツ3)

 とまぁこのように華頂博一こと岡崎祐一は、実際のところよく分ってないでしゃべっているのである。この程度のレベルの低い口からでまかせの言動でだまされちゃってる可哀想な華頂信者のそこのお前! そう、お前だよ! もういい加減気づいたらどうなんだ? 統合失調症で血統妄想のインチキ老人を旧皇族だと信じちゃって華頂先生!とか言っちゃってるんだよお前たちは!