【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下034 白人ラビの娘?

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↑ニセ華頂殿下が投稿した例の画像

 さて、最近すっかりニセ華頂殿下は私を警戒して出生に関わる発言をしなくなってしまったが、以前はよく話していた。ニセ華頂殿下が言うには

「博恭王が満州に一つだけあったユダヤ教の教会の白人ラビの娘を連れ帰ってきて日本で育てた。その間にできた子供がうちの祖母」

 

とのことだ。発言の証拠はこの動画に残っている。Mr.都市伝説こと京都ウラ天皇の操り人形文芸でおなじみw 落タクスゼイアン、もとい落合莞爾先生との対談だ。

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この動画の4分30秒あたりからの会話を見てほしい。

 

↑またまた言っちゃってるよねユウちゃん

 そしてまたこちらの動画にもそれらしき発言が記録されている。

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↑バチクソの東洋人顔のお前が何を言ってるんだ?w

 ニセ華頂殿下は高卒で聖書すらまともに読む教養がないからレビとラビの違いもわかっていないわけだが、レビと言ったらユダヤ民族の12氏族には数えられないがユダヤ人の祭祀を司る「レビびと」のことである。聖書を通読したことのある人には説明不要だがアロンやモーセの家系である。そしてラビといえばユダヤ教の教師のことである。現代英語だとレビ人=リヴァイLevite(líːvait)で、ラビ=ラァバイRabbi(rǽbai)で発音も意味も明確に違う。そして景教についても認識がおかしいw 景教とはあくまでも古いネストリウス系の東に伝播したキリスト教の一派であってユダヤ教とはまったくの別物である。

 

 以上の発言を踏まえて、このバカ殿下が言っている家系図を作ってみるとこのようになるのだ。常子というのは常盤常子で大分県姫島で育てられたハワイのカメハメハ大王の末裔らしいぞww 複雑になるので正統華頂家(博信と華子の子ら)は省略している。どう見ても近親婚が過ぎるだろと。博恭王から見れば自分の子供と子供が結婚して子供作っているのだw そりゃ障害を持った人間が生まれるわいと妙に納得してしまうのだが、こんな事あり得るかバカ! 証拠を出せよ証拠を!

 

 そしてその「白人の日本髪を結ってる人」の写真が恐らく冒頭に貼った、ニセ華頂殿下がフェイスブックにコメント無しで投稿した画像ではないかと思うのである。何のコメントもなしにあの写真を貼る意味とは? 恐らく「これが例の日本髪を結った白人ラビの娘さんです」と言いたいのだろうが、自分が勝手にパクってきた画像だから明確にそう言えなかった、と見るべきだろう。ではこの画像の元ネタはなにか? それは公爵一條実輝の奥さん悦子を中心とした写真である↓

左から一條経子(けいこ)、朝子(ときこ)、悦子、実英、フランス人乳母、実光

 この写真は公爵一條実輝(さねてる)の後妻の悦子夫人をフランス滞在中に撮影したものである。一條実輝の実父は四條隆平(たかとし)だが隆平の兄・陸軍中将の四條隆謌(たかうた)侯爵の子として育つ。後陽成天皇の男系八世子孫。駐フランス公使館附海軍武官を経験しており、そのフランス滞在中での写真である。悦子夫人は最後の肥後藩主である細川護久のお姫様。左下の幼女、朝子(ときこ)はのちに伏見宮博義王妃となる人物で、ご存命中の伏見博明さんの実母である。おそらくニセ華頂殿下が「設定固めの資料集め」をしている時に伏見宮関係の写真を図書館で漁っていて偶然目にした写真がコレで

「おっ!白人おるやんけ!設定に使ったろ!ガハハw」程度の認識だったのではないかと思う。実はこの写真は私も意味不明で一旦保留していたのだが、朝子さんの顔が頭に残っていて、ああ、これは朝子妃殿下の子供の頃の写真だと気づいたわけである。丸顔でお美しい朝子妃殿下の育ちの良さが滲み出てしまっているのだ。ちなみに朝子さんの妹の直子さんは同性愛者でおなじみの閑院宮春仁王のお嫁になっている(のちに春仁王のホモ行為が原因で離婚)

 

 この写真では赤ちゃんの一條実はのちに南部伯爵家に養子に入り南部利に、一條実は佐野伯爵家に養子に入り佐野常となっている。一條家に限らず公家さんは「家」がなくならないように、子孫が途切れそうになると有力な公家さんから男の子を跡継ぎとして養子にもらってきて何とか家系が途切れないように努力するのである。実際、ほとんどの公家さんの家系は男系ではとっくに途切れているが、他の家から男子を養子にもらって来て家を継続しているのである。摂家に限らず公家はどこもそうで、男子がいないからと言って簡単に既得権益を失う訳にはいかないのである。既得権益とは明治以前なら「極位極官」であり、明治以降は「爵位」である。明治以前は家柄、家格によって公家として中央で就任できる役職の上限が決まっていたのである。一条家は摂関家といって、天皇を直接補佐する摂政や関白に就任できる最高位の家柄である。現代では本人の努力次第でいわゆる「上級国民」に這い上がれるが、昔は家柄、血筋が最重要だったのである。

霞会館の系図では経子(ツネコ)となっているが、明治時代の書籍にはケイコとして紹介されている

一條公爵家の系図 近代でも醍醐家、四條家、大炊御門家から養子が入って継承しているのがわかる。いずれも藤原北家の一族である。
現在でも一條さんがお住まいなので住所は伏せた

↑例のフランス人乳母は日本に連れ帰っている

 そして最初の言葉の「博恭王が満州に一つだけあったユダヤ教の教会の白人ラビの娘を連れ帰ってきて日本で育てた。その間にできた子供がうちの祖母」に対してのツッコミになるが、博恭王は満州に行ったことがないのだから、満州からラビの娘を連れ帰ることなど不可能である。博恭王の行動や事蹟は詳しく書籍に残されているが、

 

博恭王が満州に行った事実はない。

 

 博恭王の父の貞愛親王は陸軍だったので中国内地まで実際に軍事行動で行った事実があるが博恭王は海軍である。以上のように、この件はすべてニセ華頂殿下が考えた設定であり妄想だということがハッキリしてしまうのである。

 

お前が白人の曾孫だと?その顔で?冗談じゃないよバカヤローw