【華頂博一(岡崎祐一)とは何者か】

 〜謎の殿下系YouTuberに迫る〜

殿下02 そもそも宮家とは?

注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。


 

 皇室について詳しい人には読む価値もないと思うが、宮家についての知識のない若い方は基本情報としておさらいしておきたい。

 拾い物の系図だが、これがいわゆる「旧11宮家」の略図である。戦後の昭和22年に11の宮家が制度廃止となり皇籍を離脱され、戦後は一般人として生活してこられた。最下段に記載されている◯◯宮家がそれに該当する11家だ。小松宮と華頂宮はこれ以前にすでに断絶している。男性は王、王の妻は王妃、娘は女王という身位をお持ちであった。敬称はいずれも殿下である。

 

 親王とは天皇から親王宣下という布告を受けて初めて名乗れる身位で王よりランクが上だ。明治時代以前は例え天皇の子供であっても親王宣下を受けなければ親王とは名乗れなかった。現在のルールでは天皇の子、孫は無条件に生まれながらに男子は親王、女子は内親王となり、ひ孫以下は王、女王となる。

 

 旧宮家はすべてが伏見宮家の分家で、直近の共通祖先は幕末に生きた伏見宮邦家親王。伏見宮家は現在の天皇御一家とは男系で600年ほど前に枝分かれした家系である。万が一、天皇の後継者の男系が途切れた時のための血のスペアが設立の主たる目的で、徳川将軍家が御三家やら御三卿を作って男子の血統が途絶えるのを予防してきたのと同様だ。まだ科学的に遺伝子や染色体の概念などなく、メンデルの法則が発見される遥か以前から考え出されてきた知恵だ。

 

 天皇家は過去に何度も男系が途切れて傍系へ継承してきた歴史がある。伏見宮家から後花園天皇、有栖川宮家から後西天皇、閑院宮家から光格天皇がそれぞれ即位している。現在の天皇家は閑院宮家の流れである。近い将来にも秋篠宮家から天皇が即位するだろう。皇位継承で一番血統が離れた例では継体天皇の例があるがここでは述べない。

 

 イギリス王室は女系継承があるのでハノーヴァー朝とかステュアート朝とか王朝名が変わる。日本の天皇家は男系継承なので、たとえ傍系の宮家から天皇が即位しても「伏見宮朝」とか「閑院宮朝」などとは言わない。なぜなら父の父の父の・・・というように父親を遡っていくと必ず初代神武天皇にたどり着き、2680年前から切れ目なく続いている世界唯一の王朝だからだ。ヨーロッパの王室ではこうはいかない。

 

 男系では約600年前に分かれた家系ではあるが、血縁を濃くするため近代では明治天皇の娘たちが北白川宮、竹田宮、朝香宮、東久邇宮にそれぞれ降嫁し、昭和天皇の娘は再び東久邇宮にお嫁に行っている。そういう意味で東久邇宮家は他の宮家に比べて現天皇家と血の繋がりが濃いと言えるだろう。

 

 江戸時代末までには「世襲親王家」として制度化された伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮の4宮家があった。幕末の伏見宮邦家親王は宮家の仕事である子作りを64歳までお続けになり、多くの王子がお生まれになったが、時代的に夭折も非常に多かった。特に伏見宮の子供たちはとにかく死ぬ。死にまくるからどんどん生みまくるのだ。

 明治維新で伊藤博文や井上毅などの超有能な政治家たちによって枢密院で皇室典範という法律が作られた。伏見宮の王子たちはほとんどが出家して大寺院のお坊さんになっていたが、明治天皇の勅旨で還俗して新しく宮家を作っていった。王政復古の寸前に中川宮(のちに賀陽宮さらに久邇宮と改称)、山階宮の2宮が作られ、王政復古後に梨本宮、北白川宮、東伏見宮(のち小松宮)、華頂宮の4宮が作られて宮家は一気に10宮家となった。新しく作られた6宮家は、世襲親王家よりも格下の一代限りの宮家のはずであった。ところがどんどんルールが破られて兄弟間で継承したり長男以外でも新宮家を分家したりして増えていったわけである。